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この新聞記事が、その日の参議院のTPP特別委員会にて、安倍総理に対しての質問で取り上げられました。
「曖昧なリーダーシップは混乱を招く」(2016年7月23日)
「佐賀新聞」一面 (2016年7月21日)
『佐賀新聞』二十六面(2016年7月24日)
「災害活動とオスプレイ」
※7月21日18:00柳川市「水の郷」ホール
https://www.facebook.com/events/604191606410805/?ti=icl
※7月22日19:00唐津市 高齢者福祉会館「りふれ」
https://www.facebook.com/events/259578044411364/
※7月23日13:00佐賀市「平和会館」
https://www.facebook.com/events/1746250365630163/
エルドリッヂ元在沖縄米海兵隊政務外交部次長 「オスプレイ反対という人よ、災害で同胞犠牲にするのか」
熊本地震の救援活動のため、在日米海兵隊がオスプレイを投入したことに批判が出ているのですか。はあー、情けない。情けない。政治的な主張と、災害対応は分けて考えるべきです。少なくとも今くらいは、意味のない議論はやめなさいと言いたいです。
オスプレイは従来のヘリコプターCH46と比べて、搭載量は3倍、速度は2~3倍、航続距離は2~4倍です。災害において最も役立つ航空機です。
自衛隊のCH47の搭載量はオスプレイより多いですが、航続距離や速度は劣ります。他の自衛隊のヘリは搭載量が少ない。被災地から48人を急いで搬送するときに、6人しか運べないヘリ8機と、24人を運べるオスプレイ2機のどちらがいいでしょうか。オスプレイは航続距離が長いので、給油せずに何回も被災地を往復することができます。
フィリピン台風災害で活躍
2013年11月のフィリピンの台風災害では、まさに、オスプレイがその役割を果たしました。
被災地に一番早く入ったのは、フィリピン政府ではなく沖縄の海兵隊でした。空港は大きな被害を受けて飛行機は降りられない。ヘリは航続距離が短く、被災地まで一気に飛べない。オスプレイは沖縄から3時間ほどでフィリピンのクラーク基地に展開し、被災地との間を往復しました。計349回飛行し、救援物資を届け、2万人近くの被災者を搬送したんです。
東日本大震災の「トモダチ作戦」で在沖海兵隊は迅速に展開しましたが、旧型のCH46ヘリは現地まで3日かかりました。あのときオスプレイが日本に配備されていたら、3時間程度で展開できたでしょう。海兵隊は、孤立した宮城県気仙沼市の大島の救援活動も行いましたが、地元の方は「あのときオスプレイがあれば」と言ってくれます。
日本では今後、南海トラフ地震の発生が予想されています。被災地は東海から四国まで広範囲になり、道路が寸断されて孤立する集落が多く出るでしょう。
そうなれば、海上からの作戦が重要になります。海兵隊、オスプレイの能力を生かせます。海上自衛隊のヘリ搭載護衛艦や米軍岩国基地(山口県)を燃料補給や整備の拠点にすれば、被災地のインフラに負担をかけない利点があります。
熊本でのオスプレイの役割は物資輸送だけで、南海トラフのシナリオと比べれば任務としては1ランク、2ランク下でしょう。しかし、自衛隊と米軍が一緒に仕事をすることで、相互運用性は確実に高まります。防災では日ごろから顔の見える関係を築いておくことが重要です。そこから生まれる教訓は次の災害で確実に役に立ちます。命をもっと救うことができます。
日本人はどこか物事に対して遠慮がちな面がある。それは日本的な奥ゆかしさであり美点だが、時に物事の本質を避け、問題を先送りする欠点にもなる。これは、特に現在の沖縄問題に当てはまるのではないだろうか。
本書の著者であるギルバート氏とエルドリッヂ氏は、共に長い間日本を見てきた親日米国人だ。日米では文化や考え方の部分で違いがある。だからこそ2人の対談は、日本人の自分からすると新鮮かつ刺激的で問題点にずばりと切り込む様子が爽快だ。
沖縄メディア、基地反対活動家の実態、基地問題、安保法制、日米同盟、翁長雄志沖縄県知事などについて論じられた本書を読めば、テレビや新聞などでは見えてこない沖縄、ひいては日本の姿が見えてくるだろう。
昨年、作家の百田尚樹氏が「沖縄の2つの新聞は潰さないといけない」などと発言して話題になった。エルドリッヂ氏はあるパーティーで親交のある沖縄タイムスの編集委員に海兵隊のインターンシップを紹介する記事をお願いしたという。すると編集委員は「基地問題がある限り、米軍にとっていいことは書かない」と言ったそうだ。
沖縄メディアには「沖縄は被害者」「米軍は常に悪」というフィルターもある。情報のゆがみを正すためにも2人は沖縄の被害者意識と、本土の加害者意識を捨てよと指摘する。こうしたフィルターがかかっていては公平な報道などできるはずがなく、反対意見は徹底的に抹殺され、健全な社会は築けない。
安倍政権を評価しつつ、自民党の体たらくについては批判もする。日米関係もいつどうなるかわからない。日米安保は重要だが、そこに安住しているだけではいけない。
さまざまな問題を指摘し、憲法改正についてもギルバート氏は「この際、やっちゃおう!」と語りかける。実にストレートな語り口であるが、2人は日本人に自立を促しているのだ。耳の痛い部分もあるかもしれない。しかしストレートな指摘は日本に対する愛情なのだろう。読了後は妙にすっきりした気分になる。(ケント・ギルバート、ロバート・D・エルドリッヂ著/産経新聞出版・1300円+税)
評・KAZUYA(動画製作者)
本誌の「ビューポイント」の執筆陣に今月から加わった元在沖縄米軍海兵隊政務外交部次長で、現在エルドリッヂ研究所代表のロバート・D・エルドリッヂ氏が複数の月刊誌のインタビューを受け、また自身の論考を寄せている。たとえば、「米軍ヘイト報道が奪う沖縄の未来(「正論」8月号)、「沖縄が分離してもいいのか(「Voice」8月号)などがある。
エルドリッヂ氏は沖縄県名護市のキャンプ・シュワブのゲートで反基地活動家が拘束された一部始終を撮影した映像を外部に提供し、4月末に米軍を解雇された。その背景には、沖縄の地元紙によって作りだされた「閉ざされた言論空間」があった。
エルドリッヂ氏の解雇に関わる地元紙の報道例をみると、活動家は越えてはならない「黄色い線」を何度も越えたことで拘束されたのだが、地元紙は「不当拘束」と報じた(同じような印象操作を行った全国紙もある)。このため、同氏は米軍や不当なバッシングを受ける日本人警備員の名誉を守るため、さらには日本政府が国民にしっかり説明できるようにとの思いから、拘束劇の真実を知らせる目的で映像を提供したことを明らかにしている(「さらば愛しき海兵隊 当事者が明かす『第二の一色正春事件』」=「正論」7月号)。
同氏の解雇にいては、多くの論点が存在するが、ここで論じたいのは「自浄作用のないメディア」にチェック機能を働かせることの重要性についてである。いわゆる従軍慰安婦問題についての誤報を長年認めなかった朝日新聞が昨年、誤報を認めて謝罪したのは月刊誌をはじめ、他の媒体から強い批判が巻き起こり追い詰められたからで、自浄作用が働いたからではなかった。
エルドリッヂ氏は新聞発行の重要性とともに、自浄作用もチェック機能も働かなくなることの危険性を強調している。論考の中で、そのために紹介したのが米国の独立宣言の起草者トーマス・ジェファーソンの名言だ。
「新聞のない政府と政府のない新聞、そのどちらかを選ばなければならないとしたら、私はためらうことなく後者を選ぶだろう」
これほど民主主義における新聞の役割の重要性を表す言葉はないが、彼はその後にこんなことも言っている。「何も読まない者は、新聞しか読まない者よりも教養が上である」「新聞で最も正しい部分は広告である」。人間の志の高低によって、ペンは剣よりも強くもなれば、剣よりも危険にもなるのだ。
日本新聞協会の「新聞倫理綱領」は正確で公正な報道を謳(うた)っているが、エルドリッヂ氏は「特に沖縄関係の報道では、多くのメディア関係者はその規定を守っていない」と、はっきりと指摘する。
沖縄には「沖縄タイムス」と「琉球新報」の2紙あるが、お互いチェックし合う状況にないことは、沖縄に赴任経験のある産経新聞編集委員の宮本雅史氏の論考(「沖縄二紙の偏向報道と世論操作」=「WiLL」9月号)からも明らかだ。「イデオロギーに支配されているのではないかと疑いたくなる記事がいかに多いことか」「偏向報道というより恣意的な世論操作ではないか」というのだ。
このように、両紙とも反日、反米軍闘争を煽(あお)っているのだから、地元紙によるチェック機能の発揮はまったく期待できない。
エルドリッヂ氏は、「正論」8月号の論考で、翁長雄志(おながたけし)知事の訪米の際、本紙の姉妹紙「ワシントン・タイムズ」に掲載された自身の論考「沖縄の知られざるもう一つの側面」が大きな反響を呼んだことを紹介している。米国の首都ワシントンには保守系の同紙と、そのライバルである革新系の「ワシントン・ポスト」があり、市民は両紙のうち、自分の政治信念に合ったほうを選択して読むか、2紙を読み比べることができるのだ。
このように一つの地域に保守系と革新系の新聞が共存することは、世論のバランスを保つ上で不可欠である。沖縄の地元紙2紙にお互いをチェックする機能を期待できないとすれば、本紙を含めた地元紙以外の新聞が沖縄においてその役割を果たす以外にないだろう。
編集委員 森田 清策
ロバート・D・エルドリッヂ
■はじめに
アメリカの独立宣言の起草者トーマス・ジェファーソンは「新聞のない政府と政府のない新聞、そのどちらかを選ばなければならないとしたら、私はためらうことなく後者を選ぶだろう」という名言で知られている。しかし彼は同時にメディアの無責任さにも気づいており、「何も読まない者は、新聞しか読まない者よりも教養が上である」「新聞で最も正しい部分は広告である」といった辛辣な言葉も残している。ジェファーソンの時代と異なり、私たちの周りには新聞以外に様々なメディアが存在する。情報を深く広く収集できるメディアは今でも必要だが、彼らが時々起こす過失や無責任さといったものを無条件に見逃すべきではない。
では誰がメディアを監視しているのだろう。私自身を含め、日本国民はメディアを過信してきたのではないだろうか。今や自らの過ちを認めない、自浄作用のないメディアをチェックすべきだという意思は世界中に生まれ、特にインターネットを通じ、一般市民の間に一種の協力体制が確立されつつある。
メディアの自浄作用といえば、日本新聞協会は2000年6月21日、44年ぶりに改定した『新聞倫理綱領』を採択した。これによれば「報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない」とあるが、特に沖縄関係の報道では、多くのメディア関係者はその規定を守っていない。こうした報道の実態は日本のメディア全体の課題でもあるが、アジア太平洋地域全体の安全保障に影響する沖縄県が直面している大きな問題だ。さらに沖縄問題の報道にしばしば見られる「意図的な誤報」は、なにも沖縄県出身者や日本人記者だけによるものではなく、活動家まがいの外国人メディア関係者にも大きな責任がある。彼らの生み出す偏向報道は、多くの摩擦や間違った認識を生じさせている。
本稿は、沖縄問題をめぐる最近の報道を検証することを目的にしている。いくつかの事例を取り上げることによって、報道がどのような誤解を招き、最終的にどのような摩擦や憎しみという結果を生むのかを考えて頂ければ幸いだ。
地元紙の「暴走」
今年2月22日のキャンプ・シュワブでの活動家らの拘束劇、なぜ私がその一部始終が撮影された映像を外部に提供したかなどについては「正論」7月号掲載のインタビューの通りである。今号ではその後の地元紙の「見出し」を通じて、事件後のメディアの暴走ぶりを紹介してみたい。
読み返してみてもっとも滑稽なのは「『境界線越えてない』と抗議」(2月24日・沖縄タイムス)という見出しである。3月4日に私が外部に提供した映像からわかる通り、基地反対活動家らは越えてはいけない黄色い線を、自ら何度も越えている。これは動かせない事実だ。沖縄タイムスの読者としては、この「誤報」に対してだけでも訂正を出すべきだと思っているのだが、いまだに「お詫びと訂正」の記事を見ていない。
「拘束は米軍独断の見方も」(同)という見出しもおかしい。米軍の基地施設管理権には警察権まで含まれる。そもそも一般市民とて自宅に不法侵入者がいれば、「独断」でそれなりの対応を取るだろう。
また「辺野古集会の直前拘束」(2月23日・沖縄タイムス)という見出しは、ことさら米軍側が基地反対集会つぶしを企図し、タイミングを計って活動家を拘束したように読ませたいように見えるが、買いかぶりすぎである。今回の件にそのような政治的意図はない。たまたまその日、定められたルールを逸脱した「侵入者」がいたので、ルールに従ってこれを拘束せざるを得なくなっただけだ。
各紙の見出しの中でも特に理解しがたいのは「『背後から無通告』不当」(2月24日・沖縄タイムス)というものである。いきなり無抵抗の者を拘束したように読ませたいのだろう。事件の一方の当事者だった日本人警備員の名誉とプロフェッショナリズムのために特に強調しておくが、ゲート警備にあたる者は、礼節ある態度で基地訪問者に接しているし、そうあることを求められる。ここに書かれたように、基地警備員は本当に「背後から」「無通告」で拘束したのか、私が外部に提供した映像でもう一度確認してみてほしい。
映像の提供から3カ月以上経過しても、彼らにとっては事件は終わっていなかったようだ。6月18日付琉球新報が掲載した「海兵隊解雇に不満」「昇格期待していた」との記事に、同紙の並々ならぬ関心がうかがえる。
琉球新報の記事は、映像提供を理由に海兵隊を4月に解雇されたことについて、私が本誌7月号のインタビュー記事で、「(映像提供で)昇格を期待していたくらいだ」と処分への不満を漏らしている、と伝えている。
実際はどうなのか。読者のみなさんには、本誌のインタビューで私がどんなニュアンスで「昇格を期待していたくらいです」と発言したか、お読みいただいたうえで、琉球新報記事について考えていただきたい(ネットで閲覧可能)。
私は狙われていた~地元紙と英字紙の「連携」
地元紙の見出しから十分に恣意性は感じられたと思うが、状況はこれだけにとどまらない。海兵隊司令部で米軍と県民や日本国民との相互理解、交流を積極的に推進してきた私は、それを望まない者のターゲットにされていた節がある。
今年1月上旬、日本で発行されている英字紙「ジャパン・タイムス」に、新設されたシンクタンク「新外交イニシアチブ(ND)」を絶賛する記事が掲載された。私は専門家としてその記事の信ぴょう性に疑問をもち、これに対する投稿を送った。同紙には30回以上寄稿しており、今回も問題なく掲載されるだろうと考えていたが、掲載可否を確認してもはっきりした答えがない。実は一昨年、知人の研究者も沖縄の問題点を紹介する英文原稿の掲載を断られている。いずれもやや不自然な却下の仕方だった。
「ジャパン・タイムス」の編集長からは「webのコメント欄に書いてください」と言われたので2月10日にそのようにした。するとそれを受ける形で、2月13日付の沖縄タイムスで「米軍幹部が研究所批判/安保政策の異議紹介記事に投稿/『騒音・不協和音』と表現」と題する記事が掲載されたのだが、紙面での扱いは1面のトップ・顔写真入りと大きなものだった。
続きは正論8月号でお読みください
ロバート・D・エルドリッヂ氏 1968年、米国ニュージャージー州生まれ。99年に神戸大学法学研究科博士課程後期課程修了。政治学博士号を取得。2001年より大阪大学大学院国際公共政策研究科助教授。09年9月より在沖縄海兵隊政務外交部(G-7)次長に就任。基地監視カメラ映像を不適切に公開したとして同職解任。近著に「尖閣問題の起源」(名古屋大学出版会)。
正論8月号。こちらからお求めできます。
ロバート博士の単独インタビュー論文が、『正論』7月号につづき、
産経ニュースへ転載されました。
沖縄・反基地運動の実態を告発した男
ロバート・D・エルドリッヂ氏 「第2の一色事件」の真相を語る
(平成27年6月14日)
2月22日、普天間基地の移設先である沖縄県辺野古地区のキャンプシュワブで、基地勤務の日本人警備員が活動家数名を拘束、県警はこの活動家らを逮捕した。翌日以降、沖縄メディアはこの事件を「不当逮捕」と取り上げた。県下では米軍に抗議する決議が次々に採択され、沖縄選出の国会議員らも日本政府を追及しはじめた。米海兵隊と日本人警備員らへのバッシングが広まるかに見えたが、3月4日、事件現場を撮影した米軍監視カメラの映像が外部に提供され事態は一変する。
この動画を外部に提供したのは、元・米海兵隊政務外交部次長のロバート・D・エルドリッヂ氏。軍人ではなく軍歴もない民間人の同氏が、なぜ今回の行為に及んだのか。(聞き手・構成/月刊正論 塩瀬崇久)
※月刊正論7月号から転載。
正論7月号は、こちらから、お買い求めできます。