『世界日報』Viewpoint に紹介されました(2015年7月31日)

沖縄の「言論空間」 真実知る機会閉ざされる

自浄作用失う地元メディア

本誌の「ビューポイント」の執筆陣に今月から加わった元在沖縄米軍海兵隊政務外交部次長で、現在エルドリッヂ研究所代表のロバート・D・エルドリッヂ氏が複数の月刊誌のインタビューを受け、また自身の論考を寄せている。たとえば、「米軍ヘイト報道が奪う沖縄の未来(「正論」8月号)、「沖縄が分離してもいいのか(「Voice」8月号)などがある。

エルドリッヂ氏は沖縄県名護市のキャンプ・シュワブのゲートで反基地活動家が拘束された一部始終を撮影した映像を外部に提供し、4月末に米軍を解雇された。その背景には、沖縄の地元紙によって作りだされた「閉ざされた言論空間」があった。

エルドリッヂ氏の解雇に関わる地元紙の報道例をみると、活動家は越えてはならない「黄色い線」を何度も越えたことで拘束されたのだが、地元紙は「不当拘束」と報じた(同じような印象操作を行った全国紙もある)。このため、同氏は米軍や不当なバッシングを受ける日本人警備員の名誉を守るため、さらには日本政府が国民にしっかり説明できるようにとの思いから、拘束劇の真実を知らせる目的で映像を提供したことを明らかにしている(「さらば愛しき海兵隊 当事者が明かす『第二の一色正春事件』」=「正論」7月号)。

同氏の解雇にいては、多くの論点が存在するが、ここで論じたいのは「自浄作用のないメディア」にチェック機能を働かせることの重要性についてである。いわゆる従軍慰安婦問題についての誤報を長年認めなかった朝日新聞が昨年、誤報を認めて謝罪したのは月刊誌をはじめ、他の媒体から強い批判が巻き起こり追い詰められたからで、自浄作用が働いたからではなかった。

エルドリッヂ氏は新聞発行の重要性とともに、自浄作用もチェック機能も働かなくなることの危険性を強調している。論考の中で、そのために紹介したのが米国の独立宣言の起草者トーマス・ジェファーソンの名言だ。

「新聞のない政府と政府のない新聞、そのどちらかを選ばなければならないとしたら、私はためらうことなく後者を選ぶだろう」

これほど民主主義における新聞の役割の重要性を表す言葉はないが、彼はその後にこんなことも言っている。「何も読まない者は、新聞しか読まない者よりも教養が上である」「新聞で最も正しい部分は広告である」。人間の志の高低によって、ペンは剣よりも強くもなれば、剣よりも危険にもなるのだ。

日本新聞協会の「新聞倫理綱領」は正確で公正な報道を謳(うた)っているが、エルドリッヂ氏は「特に沖縄関係の報道では、多くのメディア関係者はその規定を守っていない」と、はっきりと指摘する。

沖縄には「沖縄タイムス」と「琉球新報」の2紙あるが、お互いチェックし合う状況にないことは、沖縄に赴任経験のある産経新聞編集委員の宮本雅史氏の論考(「沖縄二紙の偏向報道と世論操作」=「WiLL」9月号)からも明らかだ。「イデオロギーに支配されているのではないかと疑いたくなる記事がいかに多いことか」「偏向報道というより恣意的な世論操作ではないか」というのだ。

このように、両紙とも反日、反米軍闘争を煽(あお)っているのだから、地元紙によるチェック機能の発揮はまったく期待できない。

エルドリッヂ氏は、「正論」8月号の論考で、翁長雄志(おながたけし)知事の訪米の際、本紙の姉妹紙「ワシントン・タイムズ」に掲載された自身の論考「沖縄の知られざるもう一つの側面」が大きな反響を呼んだことを紹介している。米国の首都ワシントンには保守系の同紙と、そのライバルである革新系の「ワシントン・ポスト」があり、市民は両紙のうち、自分の政治信念に合ったほうを選択して読むか、2紙を読み比べることができるのだ。

このように一つの地域に保守系と革新系の新聞が共存することは、世論のバランスを保つ上で不可欠である。沖縄の地元紙2紙にお互いをチェックする機能を期待できないとすれば、本紙を含めた地元紙以外の新聞が沖縄においてその役割を果たす以外にないだろう。

編集委員 森田 清策

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